御陵宮(伊豫神野王皇山)

−御由緒・御沿革−
御陵宮(現御陵神社)は大王御陵として創祀されたのが始まりと伝えられています。
葛城氏・賀茂氏・橘氏・秦氏・藤原氏などの國主系氏族から篤い崇敬を集め、平安京の遷都が成された延暦時代には桓武天皇が石鈇山への成就の際に当地へお立ち寄りになられ御参拝されました。
弘仁時代には平安京采女正として宮中に仕えた賀美能宿禰が新居郡(旧神野郡)へ帰郷。嵯峨天皇のお力添えも合わさるなど、この笹ヶ峰山麓地域の開拓が成されて石鈇山往生院正法寺の創建に合わせ、当社に本殿などが建立されました。

約束の地(イズミ)の守り神として往生院村や飯積地域の人々と共に時代を歩み、乱世の戦国時代には早川城主であった秦備前守や土佐国の長宗我部氏により守護されました。
明治時代には三十九年施行の一町村一社を原則とする神社合祀令に合わせた時代を歩むも昭和の戦後には復祀。一部で伐採となっていた鎮守の杜に植林がされ、境内や石段の整備、更には鳥居再建へと至りました。
近年においては長年の月日の経過に伴う地形変動による崖崩れなどもあり、昭和五十年の豪雨被害などの際に本殿の移転等の声が上がるなどもしましたが、現在でも先人達の思いを歪める事無く当時のままひっそりと笹ヶ峰山麓に佇んでおり、今世を生きる人々を見守り続けています。


社名 御陵神社(みささぎじんじゃ)
御祭神 天命開別大神(天智天皇)
創祀年 弘文天皇元年
社殿建立 賀美能宿禰
鎮座地 愛媛県西条市早川(旧新居郡往生院)





御陵神社では安全上の諸事情により立入制限がされています。
(平素より当神社に崇敬の真心をお寄せ下さり、諸事にご理解ご協力を賜っておりますことを深く感謝申し上げます。現在、境内及び神社周辺は崖崩れや落石など安全上の諸事情により区域内への立入は地区氏子・有縁者のみに制限されております。おそれ入りますが、参拝にお越しの際は沿道からのご遥拝にてお願い申し上げます。)





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